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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和57年(ネ)148号 判決

控訴人

光谷松枝

控訴人

光谷多可志

右控訴人両名訴訟代理人弁護士

野村侃靱

今井覚

被控訴人

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

松多昭三

右訴訟代理人弁護士

高橋定男

大内猛彦

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は控訴人光谷松枝に対し金八三万三三三三円、控訴人光谷多可志に対し金一六六万六六六六円及びこれらに対する昭和五五年五月一四日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2  控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一・二審を通じこれを一〇分し、その一を被控訴人、その余を控訴人らの負担とする。

三  この判決は第一項1につき仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人ら

(一)  原判決を取消す。

(二)  被控訴人は控訴人光谷松枝に対し金一八三三万円、控訴人光谷多可志に対し金三六六七万円及び右各金員に対する昭和五五年五月一四日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

(四)  この判決は仮に執行することができる。

2  被控訴人

(一)  本件控訴を棄却する。

(二)  控訴費用は控訴人らの負担とする。

二  控訴人らの請求原因

1  自動車保険契約の締結

(一)  ミツタニ機械工業株式会社は、昭和五三年九月二六日被控訴人との間で、被控訴人の自動車保険約款に基づき、次の内容の自動車保険契約を締結した。

(1) 保険期間

昭和五三年九月二七日から昭和五四年九月二七日まで

(2) 担保種類 自損事故等

(3) 保険金額

自損事故の場合一〇〇〇万円

(4) 被保険自動車

トヨタカローラTE三〇(登録番号大阪五六ほ四六九八)(以下「本件自動車」という)

(二)  自動車保険約款には次のとおり規定されている。

(1) 被控訴人は、被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により被保険者が身体に傷害を被り、かつそれによつてその被保険者に生じた損害について自動車損害賠償保障法三条に基づく損害賠償請求権が発生しない場合は、死亡保険金等を支払う。

(2) 被控訴人は、被保険者が右(1)記載の傷害を被り、その直接の結果として死亡したときは、一〇〇〇万円を死亡保険金として被保険者の相続人に支払う。

(3) 被保険者が右(1)の傷害を被つたとき既に存在していた身体傷害もしくは疾病の影響により、又は右(1)の傷害を被つた後にその原因となつた事故と関係なく発生した傷害もしくは疾病の影響により、右(1)の傷害が重大となつたときは、被控訴人はその影響がなかつた場合に相当する金額を決定してこれを支払う。

(4) 右(1)ないし(3)記載の被保険者とは、被保険自動車の保有者、運転者等をいう。

2  傷害保険契約の締結

(一)  光谷正雄は昭和五三年一〇月二三日被控訴人との間で、被控訴人の傷害保険普通保険約款及び交通事故傷害保険普通保険約款に基づき、次の内容の傷害保険契約を締結した。

(1) 保険期間

昭和五三年一〇月二八日から昭和五四年一〇月二八日まで

(2) 担保種類

普通傷害死亡、交通事故傷害死亡等

(3) 保険金額

普通傷害死亡につき三〇〇〇万円

交通事故傷害死亡につき一五〇〇万円

(4) 被保険者 光谷正雄

(二)  傷害保険普通保険約款には次のとおり規定されている。

(1) 被控訴人は、被保険者が日本国内又は国外において急激かつ偶然な外来の事故によつて身体に傷害を被つたときは、この約款に従い死亡保険金等を支払う。

(2) 被控訴人は、被保険者が(1)の傷害を被り、その直接の結果として事故の日から一八〇日以内に死亡したときは、保険金額の全額を死亡保険金として死亡保険受取人(死亡保険受取人の指定のないときは被保険者の法定相続人)に支払う。

(3) 前記1(二)(3)と同旨の規定。

(三)  交通事故傷害保険普通保険約款には次のとおり規定されている。

(1) 被控訴人は、日本国内において運行中の交通乗用具に搭乗している被保険者が、急激かつ偶然な外来の事故に起因して傷害を被つたときは、この約款に従い死亡保険金等を支払う。

(2) 前記1(二)(3)、2(二)(2)と同旨の規定。

3  光谷正雄の死亡

(一)  光谷正雄は、昭和五四年八月一〇日午前六時頃、本件自動車を運転し助手席に控訴人光谷松枝を乗せて大阪から金沢へ向けて出発し、途中から名神高速道路へ入り、時速約八〇キロメートルで走行した。

(二)  正雄は、同日午前七時頃軽度の脳出血を発症し、意識は清明であつたが左手に軽い麻痺が現われ左方にハンドルをとられ始めて、ガードレールやトンネル側壁等との接触事故を繰り返した。

(三)  正雄は、同日午前七時三〇分頃、大津市膳所池ノ内町地先名神高速道路上り線四七三・八KP地点付近にあるガードレール及びポールに本件自動車の左側面を衝突させて停止したが、右時点では意識ほぼ清明で、控訴人松枝に三角灯を出して停止の合図をするように指示した。

(四)  同日午前八時三七分救急車が到着したが、正雄は左半身麻痺で倒れ、会話はできるも病態失認の状態にあり、軽度の意識障害がみられた。

(五)  正雄は同日九時〇九分救急車で病院へ搬送されたが、重篤な意識障害があつて半昏睡の状態であつた。

(六)  正雄は同月一二日死亡したが、死因は脳ヘルニアであり、その傷病名は高血圧性脳出血であつた。

4  正雄の死因と保険事故

(一)  正雄は、本件自動車の運転による外的刺激によつて軽度の脳出血が発症し、ガードレール、ポールやトンネル側壁との接触及び衝突事故に起因する著しい外的刺激を心身に継続して受け、緊張・恐怖、興奮・精神的ショックといつた心理的刺激や、接触・衝撃、急速な移動といつた身体的刺激が昂じ、急激な血圧上昇を招いて脳内の再出血とその拡大を出現せしめて病態を著しく悪化させ、遂に死亡するに至つたのであるから、正雄は急激かつ偶然な外来の事故により死亡したものである。

(二)  仮に正雄の死因について自然的内的要因が何程か作用しているとしても、正雄が本件自動車を運転している過程において、その運転に起因する外的刺激もしくは事故によつて脳内出血の発症及びその急激な悪化という傷害を身体に被り、その結果死亡するに至つたものであるから、この傷害要因もまた正雄の死因に大きく作用していることは明らかである。

このように、正雄の死因について保険要因及び非保険要因の両因が作用している場合には、割合的ないし確率論的手法によつて因果関係及び支払うべき保険金額を認定すべきであり、殊に本件各保険約款において既に割合的算定による保険金の支払が予定されている場合には、右手法による認定の合理性は一層担保されている。

正雄の疾病は脳出血発症後二、三時間で昏睡に至る劇症型であつたところ、脳出血の中で最も頻度の高い外側型出血においても劇症型が発現する確率は約一〇パーセントであるから、本例においては、脳出血による血腫増大に本件交通事故等に起因する精神的ストレス等が血圧上昇の素因となつて寄与し劇症型疾病を招来するに至つたものである。

石川鑑定書や土屋医師及び中村教授の証言においても、高速道路上での高速運転による精神的ストレスや、トンネル側壁やガードレールに接触して衝激を受けた場合に生じる運動不穏状態が、正雄の脳出血を増悪させた原因となりうることが指摘されており、控訴人らの本訴請求は、各保険金額につき少なくとも三〇パーセント以上の割合額をもつて認容されるべきである。

なお、本件においては高血圧症等の疾病の告知がなされており、それに伴なつて保険料も高額に定められていた事実も衡平上の要素として考慮されるべきである。

5  保険金請求

(一)  正雄の相続人は、妻である控訴人光谷松枝(相続分三分の一)と、子である控訴人光谷多可志(相続分三分の二)の両名である。

(二)  よつて、被控訴人に対し保険金として、控訴人松枝は内金一八三三万円、控訴人多可志は内金三六六七万円、及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和五五年五月一四日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  請求原因に対する被控訴人の認否及び反論

1  請求原因1、2項、3項(一)(二)(三)(五)(六)、5項(一)の事実は認めるが、3項(四)、4項は否認ないし争う。

2  本件交通事故はまことに軽微であつた。

(一)  光谷正雄は、昭和五四年八月一〇日午前七時頃、顔面蒼白となり脂汗をかき左手がダラリとなりハンドルにかからなくなつて、そのまま右手だけでハンドルを握つて運転を続けたが、車の進路が左側にそれるようになり、車の左側がトンネルの側壁に何回も接触したが強い衝撃はなく、同日午前七時三〇分頃道路脇のガードロープに車の左側が接触し、そのまま擦るようにしながら停止した。

その後、控訴人松枝は正雄の指示で車両後部席にある三角マークの停車表示器を路上に立てた後、非常電話で救急事態を通報したので、同日午前八時三七分頃救急隊が現場に到着し正雄を病院に収容したのであるが、救急隊の到着後に正雄は嘔吐したものの意識ははつきりしていたが、同日午前九時一〇分頃半昏睡状態になり、その後二、三回吐血し間もなく意識がなくなり、同日午後一時過ぎには自発呼吸が完全に停止し、同月一二日午後一時四〇分頃死亡した。

(二)  本件交通事故の状況と正雄の死に至る経緯の右のとおりであり、本件交通事故が正雄の死の主要な原因でないことは明らかである。

本件交通事故の衝撃は、乗車していた正雄及び控訴人松枝が何らの外傷も負わない軽微なものであり、本件交通事故の態様・程度からして、本件交通事故により正雄の死は勿論受傷の結果が生ずるとは考えられない。

3  正雄は疾病死である。

(一)  正雄の死因は脳ヘルニア、疾病名は高血圧性脳出血である。

(二)  正雄は明治四一年一〇月三一日生の七〇才の老人であり、昭和五二年頃から網膜動脈硬化症、陳旧性眼底出血、高血圧性心疾患、大動脈硬化症、糖尿病等の脳卒中を引き起こしやすい基礎疾患に罹患し、脳出血がいつ発症してもおかしくない状態にあつた。

(三)  本件において正雄の脳出血が発症したのは、午前七時頃高速道路走行中、顔面蒼白となり脂汗をかき左手がダラリとなつてハンドルにかからなくなつた頃である。このように本件交通事故以前に正雄の脳出血が発症していたことは、本件交通事故と脳出血=脳ヘルニアとの因果関係を原則として否定するものであり、正雄の死は純粋に本人の疾病によるものである。そして直接たると間接たるとを問わず疾病による傷害は担保されない。

4  本件交通事故は正雄の死に寄与していない。

(一)  正雄の疾病は劇症型脳出血の経過をたどつており、発症後における内外のストレスとしては幾多のものが考えられるが、そのなかで衝突というストレスが再出血ひいては劇症型脳出血につながつたという因果関係の可能性に関しては、衝突後一時間以上も良好な意識状態が保たれていたことからして、その可能性はない。

中村教授は、本件交通事故による異常な緊張、恐怖感が血圧の急上昇を招いたかも知れないが、それが劇症の脳出血の原因となつたと考えられないこと、本件交通事故が再出血という増悪を来たした一因にもならないことを明言し、寄与肯定説を批判している。

(二)  石川鑑定は、本件交通事故が正雄の死因について三〇パーセント寄与しているという。

しかし、石川医師は、石川鑑定の三〇パーセント寄与肯定説は明確な論拠のあるものではなく、本件交通事故がなくとも最初の脳出血の自然経過として死に至つた可能性を肯定し、正雄の血圧上昇が病人の収容・運搬・移動という事故性のない行動によつて惹起した可能性を認めている。

5  控訴人らは、正雄の高血圧症等の疾病により保険料が高額に定められたというが、本件保険契約には高血圧症の告知義務はなく、また右疾病の存在によつて保険料を高額に定めるという制度はない。

四  証拠〈省略〉

理由

一保険契約の締結と光谷正雄の死亡等

請求原因1、2項、3項(一)(二)(三)(五)(六)、5項(一)の事実は当事者間に争いがない。

二控訴人らは、正雄は本件自動車運転または接触・衝突事故によつて死亡した旨主張し、被控訴人は右因果関係を争うので、以下正雄が死亡するに至つた経緯について判断する。

〈証拠〉、当審における鑑定人石川正恒の鑑定の結果によると、次の各事実が認められる。

1  正雄は明治四一年一〇月三一日生で、昭和五二年頃から網膜動脈硬化症、陳旧性眼底出血、高血圧性心疾患、大動脈硬化症、糖尿病等の脳卒中を引き起こしやすい基礎疾患を有し、昭和五四年八月当時七〇才に達し、いつ脳出血が発症してもおかしくない状態にあつた。

2  正雄は、昭和五四年八月一〇日午前六時三〇分頃、助手席に妻の控訴人光谷松枝(明治四三年生)を乗せ、本件自動車を運転して大阪から金沢へ向けて出発し、途中から名神高速道路上り線に入り、時速約八〇キロメートルで走行した。

正雄は、同日午前七時頃天王山トンネルを通過したあたりを走行中に軽度の脳出血を発症し、意識は清明であつたが、左片麻痺のため顔面蒼白となり脂汗をかき左手がダラリとなつてハンドルにかからなくなつてきた。しかし右出血は仮止血の状態で止まり病状は進行しなかつた。

このため、控訴人松枝は正雄に対し、京都南インターチェンジで名神高速道路から下りるように言つたが、正雄は大丈夫だと言つてそのまま右手のみでハンドルを握り運転を続けた。その間車の進路が左へ左へとそれて何度かガードレールに接触し、大津トンネル内では車の左前部と左側部がトンネルの側壁に何回も接触した。

そして、正雄は更に走行を続けたところ、同日午前七時三〇分頃、大津市膳所池ノ内町地先名神高速道路上り線四七三・八KP地点付近にあるガードロープ及びポールに車の左前部と左側部が衝突し、そのまま擦るようにしながら停止した。そのため、車体左側が広範囲に凹み、左前照灯が破損し、左前輪がパンクした。

3  正雄及び控訴人松枝の両名ともショックは受けたが何らの外傷も受けず、正雄は意識ほぼ清明で控訴人松枝に対し、三角マークの停車表示器を路上に立てて停車の合図を出すように指示した。

そこで、控訴人松枝は、本件自動車の後部座席にあつた三角マークを路上に立てた後、高速道路上の陸橋を渡り下り車線を歩いて四七四KP地点にある非常電話まで行き、同日午前八時頃高速道路交通警察隊に電話をかけ、正雄が事故を起こしたことを通報した。

その後間もなく交通警察隊の車が現場に到着したが、正雄が急に腹痛を訴え嘔吐したため、同日午前八時二九分頃警察隊員が大津市消防本部に対して救急車の出動を要請した。

救急車は同日午前八時三七分頃現場に到着し、救急隊員が正雄に気分はどうかと尋ねたところ、正雄は、目を開き尻を前へ突き出し顔を前へ向けた姿勢で運転席に座り、後ろの座席から控訴人松枝に支えられ左手をダラリとした状態で、「大丈夫、私一人で救急車まで歩いていけます。」と答え、意識もはつきりとしていたが、救急隊員は正雄を抱きかかえて本件自動車から降ろし、担架に乗せて救急車に収用し、側臥位にて搬送した。

4  正雄は、同日午前九時〇九分頃救急車で大津市民病院へ搬送されたが、当時の状態は意識レベルが半昏睡で、疼痛刺激に対して逃避反射のみ示し、左半身麻痺のため左手左足がダラリとして随意運動不可能、血圧二二〇/一六〇、瞳孔左右不同、嘔吐を繰り返し、嘔吐物中には上部消化管出血による血液が混じつていた。

正雄は、同日午前一一時四〇分頃チェーンストークス呼吸になつて時々自発呼吸が停止し、意識が昏睡状態となり、同日午後一時〇六分頃自発呼吸が完全に停止したので人工呼吸に切り換え、同月一二日午後一時四〇分心臓が停止して死亡した。

正雄の死亡原因は脳ヘルニア、疾病名は高血圧性脳出血であり、劇症型の脳出血といわれる病態であつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する原審証人加藤孝和の証言、原審における控訴人光谷松枝本人尋問の結果は、前掲各証拠に照らして採用し難い。

右認定事実によると、正雄は、

脳出血を起しやすい基礎疾患を有していた。

その状態で高速自動車道路を自動車で走行し、

その運転中軽度の脳出血を引き起し、

間もなく本件接触・衝突事故を引き起した。

そのあと劇症型脳出血を起し、

死亡した。

と認めるのが相当である。

三正雄の死因と保険事故の発生について

1  〈証拠〉によると、

(一)  自動車の運転は、血圧の上昇を招く心理的ストレスとなるが、今日では自動車運転自体は、ごく日常的な活動形式の一つであつて、脳出血を起こしやすい特殊活動形態とはされていないから、前記の正雄の自動車運転中の脳出血発症は、の自動車運転に起因するというよりも、の脳出血を起こしやすい基礎疾患に起因するものと認むべきであること、

(二)  脳出血が起つたとしても、軽症(小出血)のまま経過するものもあり、発症後二〜三時間で昏睡に至る劇症型(手術不能型)は、脳出血の中で最も頻度の高い外側型出血において約一〇パーセントといわれていること、本件では、軽度の脳出血にとどまる状態で高速道路上で接触・衝突事故を起こしたため、その間の異常な緊張・恐怖感が血圧の急上昇を招き、再出血、血腫増大をもたらし、また更には脳出血に伴なう嘔吐、救急車への移動に伴なう体動など内外からのストレス刺激によつて再出血が促進されたため、劇症型脳出血を発症し、死に至つたものであつて、正雄の死は、軽度の脳出血の状態に、本件接触・衝突事故並びにこれに密接する救急措置が加わり、の劇症型脳出血に移行したために生じたものであること、軽度の脳出血があつても、接触・衝突事故など血圧の急上昇を来たすショックがなければ、仮止血の状態で止まつたり、また時間的余裕をもつて手術することができ、救命の可能性があるのであつて、軽度の脳出血から直ちに死には結びつかないことが認められる。

当審証人中村紀夫は、(1)劇症型の脳出血の場合、出血―止血―出血が反復し、二度目、三度目の出血のときにたまたま出血量が多いと、それが劇症型に結びつくことになる。(2)正雄についても、午前七時頃に小さな脳出血が起こり、それが一旦止血したが、その後再出血して劇症型脳出血の経過をたどつたものと思われる。(3)正雄は、本件交通事故後救急車が到着するまでの約六〇分間は意識がほぼ明瞭であつたのに、その後の三〇分間に急激に悪化しており、もし本件交通事故のときないしはその後間もなく再出血がありそれが劇症につながつたとするならば、救急車が到着した時点(六〇分後)で既に意識がもつと侵されて重篤な状態に陥つていた筈であり、本件交通事故によるストレスが劇症型の脳出血の誘引になつたとは考えられない。(4)正雄の場合には、劇症型脳出血につながつた再出血はおそらく午前八時以降に起こつたものと思われ、本件交通事故後救急車が到着するまでの間の嘔吐、救急隊員との会話、救急車で搬送中の体動等が止血後の大きな再出血原因として考えられるとしているが、事故後の救急措置も事故に伴なう当然の事象であつて、事故と因果関係があり、この間の事実を本件事故から特に排除するのは相当でなく、また同証人は、再出血から少くとも六〇分後には重篤な状態になつていなければならないというが、そのような資料は見当らず、乙第六号証によると、発症から昏睡までの平均時間は死亡例で約九三分、救命例で約一四〇分、一三症例中最長一八〇分と報告されており、本件九〇分は必ずしも不自然とはいえないから、本件で午前九時に昏睡となつたことから、午前八時以降の再出血しか推定できないとする右結論はにわかに採用し難いものである。

2 すると、正雄の最初(軽度)の脳出血は、自己の基礎疾患(疾病)に起因するものであるが、その後の劇症型脳出血は、右軽度の脳出血(疾病)を前提条件とし、これと本件交通事故とが協働して生じたものであり、死の結果からみて、交通事故は直接(近因)の、軽症の脳出血(疾病)は間接(遠因)の原因というべきであつて、少くとも本件交通事故と劇症型脳出血―死との間にはその割合(寄与度)はともかく、相当因果関係があると認めるのが相当である。

四被控訴人は、直接たると間接たるとを問わず、脳疾患、疾病または心神喪失によつて生じた損害は免責される旨主張する。そして原本の存在並びに成立に争いのない甲第二三号証によると、本件傷害保険普通保険約款三条四号には、右主張と同旨の規定が存在することが認められるから、本件傷害保険契約(傷害保険普通保険)に基づく保険金請求は、右免責規定により許されないことが明らかであるといわねばならない。

しかしながら、本件自動車保険、傷害保険(交通事故傷害保険)に関して、右主張の如き免責条項が存在することを認めさせる証拠はない。そして、疾病が間接の原因となつている場合を免責とする旨の規定がない以上、疾病を事故原因から除くとしても、疾病が間接的原因になつているというだけで直接原因たる事故に起因する結果につき不担保とすることはできないと解すべきである。そこで免責規定のない右両保険に関し、正雄の本件劇症型脳出血の発症が保険事故となるか否かにつき更に以下判断する。

五前記の如く、正雄の死は疾病と交通事故が協働原因となつていて、右事故と死との間には相当因果関係があると認められるところ、交通事故が急激かつ偶然なる外来の事故であることは明らかであり、かつ本件は自動車の運行に起因し、或いは運行中の自動車に塔乗中の事故であるから、本件正雄の死は、本件保険契約における保険事故に当ると認められる。

ところで、本件保険約款には、急激かつ偶然な外来の事故により被保険者が身体に傷害を被り、保険会社が被保険者に対して保険金の支払義務が生じた場合において、被保険者が傷害を受ける以前から存在していた傷害、疾病等の影響により傷害が重大となつた場合、又は、被保険者が保険事故による傷害を被つた後に右事故による傷害とは別個の原因により発生した傷害、疾病等の影響により傷害が重大となつた場合に、保険会社が被保険者に対しその影響がなかつた場合に相当する金額を決定して支払う旨の規定があることは当事者間に争いがない。右規定の趣旨は、保険事故が発生しても、保険事故以外の原因が付加されることによつて、本来の保険事故に相当する傷害以上にその程度が増大した場合、保険事故以外の原因により生じた傷害分を差引いて本来の傷害の限度にまで修正することを定めたものと解されるから、本件の如く、保険事故と疾病との競合により傷害が発生した場合にも、右規定に準じた割合的認定を行ない、保険によつて担保すべき適正な傷害の程度を算定することが許されると解すべきである。

そこで、本件劇症脳出血発症について、本件交通事故の寄与率がどの程度のものであつたかにつき判断するに、

(一)  当審における鑑定人石川正恒は、本件交通事故が正雄の死亡に何らかの関与をしたことは否定しえず、寄与率をあえて述べるとするならば約三〇パーセントであると鑑定している。しかし、同証人は、寄与率三〇パーセントというのは明確な根拠があるわけではなく、単なる印象に過ぎないと証言しているから、前記石川鑑定や石川証言は、本件交通事故と正雄の死との因果関係について、三〇パーセントまたはこれに近い率での寄与を認めうる証拠とはなり得ないが、それ以下での寄与率は優に肯定し得るものである。

(二)  前掲甲第一四号証(土屋良武医師作成の鑑定書)には、「本例では、軽症(小出血)の状態で、高速道路上でガードレールに衝突しながら急停止したという異常な緊張、恐怖感が血圧の急上昇を招き、再出血という増悪を来たした一因となつた可能性は否定できない。」と記載されており、若干の寄与率を肯定し、当審証人土屋良武も右と同旨の証言をしている。

(三)  前掲乙第五号証(中村紀夫教授の意見書)には、本件交通事故が数パーセント以下の割合で正雄の死因に寄与していることを認める記載がある。

以上を総合すると、正雄の死に対する本件交通事故の寄与率は一〇パーセントと認定するのが相当である。

六以上に従い保険金額を計算すると、本件自動車保険については保険金一〇〇〇万円の一〇パーセントである一〇〇万円、本件傷害保険(交通事故)については保険金一五〇〇万円の一〇パーセントである一五〇万円合計二五〇万円となる。これを控訴人らが相続したことになるので、相続分に従うと、被控訴人は控訴人光谷松枝に対し、その三分の一である八三万三三三三円、控訴人光谷多可志に対しその三分の二である一六六万六六六六円及びこれらに対する訴状送達の翌日である昭和五五年五月一四日から完済まで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払義務があり、控訴人らの本訴請求は右限度で正当として認容すべきものである。

七よつて控訴人らの請求を棄却した原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官井上孝一 裁判官紙浦健二 裁判官森髙重久)

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